CATNAP~夢を使った次元旅行~

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占いして金取り出したること~看護師ロボから占いロボへ~

占いして金取り出したること~看護師ロボから占いロボへ~


病棟勤務していた時に感じた不思議な感覚
私は専門学校を卒業すると同時に、地元の基幹病院へ就職して看護師として働いていました。最初の2~3年までは仕事を覚えるのに必死の毎日。リアルな患者さん一人一人の症状に見合った病態生理や薬学を勉強するのに一生懸命だったので、あまり気にならなかったのですが、4年目5年目あたりから妙な感覚に襲われるようになりました。

それは特に、点滴や注射の準備をしていた時に起こるのです。
患者さんたちの処方箋を見ながら、薬品のアンプルやバイアルを空けて点滴を詰めて使用したものをそれぞれ所定のごみ箱へ捨てます。
ガラスでできたアンプルやバイアルをガラス専用のゴミ箱へ、薬液を混ぜるために使用した注射器と針はプラスティック専用の箱、針専用の箱といった感じで分けるのです。

それぞれのゴミ箱に分別していると、役目を果たし使い捨て破棄される医療廃棄物を眺めながら、まるで自分を見ているような気持になるのです。私も医療業の中では一つの歯車で消耗品なのだな~。という観点がありました。

 

私が勤務していた病院では、夜勤のある病棟勤務は20代の看護師さんが大半でした。3交代で不規則なうえ、他にも変則勤務があるため、既婚の方やお子さんが見える方は外来勤務を希望され部署を移動していきます。


さらに、この病院は付属の看護学校があったので、新卒看護師さんたちが毎年数十人就職されます。
入る人がやって来る代わりに数十人の方々が病院を辞めて地元へ帰って行ったり、転職をしたり・・みたいなサイクルがありました。

「私がいなくても新しい看護師さんたちがやってきて、代わりに仕事をしていくのだろうな・・。別に私でなくてもよいのだよな・・」
そう思うと、とても空虚な気持ちでした。

こんなことを感じていた理由として、新卒から一緒に頑張ってきた同期の同僚や、温かく指導をしてくれた先輩たちが一人、また一人と病院を去っていった時だったからでしょう。
当時は患者さんたちを見送ること、人の死に慣れすぎ、感情がマヒして心が機械みたいになっていた時期でした。

日々点滴や注射や処置、カルテの記入、そのほかの雑務に追われ、患者さんとまともにお話することもできず、ロボットみたいに決められたマニュアル通りに複数のルーティンをこなしていく日々でした。
いつもタイマーをセットして時計を確認し、複数の患者さんの点滴や検査など管理しているうちに、自分が本当にロボットなんじゃないかな?って思うこともありました。
医療ロボットで、壊れたら医療廃棄物として破棄されるのかな?みたいなことを考えることが増えてきたのです。

そんなこともあって、一度職場を離れることにしました。
慣れ親しんだ患者さん達や私を指導して育ててくれた看護師長さん、医師方とお別れをするのは寂しいことでした。ちょうど入眠障害も出始めていたので、これ以上夜勤を続けるのは無理かな〜と考えて迷いました。

そんな時に夢で”勤務表を見間違えて無断欠勤し、みんなに迷惑をかける”という内容のものを頻繁に見ていました。
そして、夢の中で責任の重さを感じながらうなされます。
「そのうち、本当に欠勤してしまいそうで怖い!!」と思い、離職を決意しました。

 

 

退職後、将来について占ってもらう
病院を辞めた後は実家へ帰りました。特に先のことは考えていませんでした。
漠然と「何か仕事をしないといけない」と思っていました。でも病院はしばらく辞めておきたい、と思っていました。

数年間変則勤務をしていた私は入眠障害のため、睡眠導入剤がないと眠れないようになっていました。
体のコンディションや睡眠のリズムを整えたかったので、お昼の間の仕事を探しました。
でも、これと言ってやりたいこともなく、とりあえず飲食店で短時間のアルバイトなどをしてのんびりしていました。

ある日アルバイトから帰る途中本屋さんで占いの雑誌を目にしました。
その時に、以前病院の同僚たちと一緒に出かけた占い館のことを思い出しました。
そこで「ちょうどいい機会だから、今後のことを占いで見てもらおう‼」と思いました。

次の日、アルバイトが終わると占い館へ向かいました。
過去に占ってくれた同じ占い師さんがこの時も占いをしてくれました。
私はこれまでの仕事の経緯を説明して、「今後何をしたらよいのか?」占ってもらいました。
占い師さんは、私の全体的な性質や運勢について説明をしてくれました。
仕事に関しては「やりたいことをやって、いろいろ挑戦していくと良いです」みたいなお話をしてくれました。


私は占い師さんに「今はやりたいことが特にないのですが、何をしたらよいでしょう?どんなことが向いていますか?」と質問したことを覚えています。

その占い師さんは「あなたは人の気持ちが読める人だから占い師に向いていますよ、興味があるならやってみたら?タロット占いとかに向いているね」と答えました。

私は中学生のころタロットカード占いにハマっていたので、なんとなく占いには興味がありました。でも、仕事として占いをするなんてハードル高すぎて無理‼と思いました。
占い師さんは「気が向いたらやってみたら?」と、再度進めてくれました。
私は占い師さんにお礼を伝え、席を立ってその場を去ろうとしました。

その時に占い師さんが「待って、今度占い会社を立ち上げるから一緒に働かない?」と声をかけてきました。
「え、でも私は素人ですよ?」と答えました。
「大丈夫、あなたセンスがあるから、サポートするから一緒に」と再び勧誘されました。

当時の私は30歳近い年齢になっていましたが、好奇心から「占い師って面白そうかも?」と興味を惹かれました。
「少し考えさせてください」と答えて家に帰ることにしました。

 

 


占いして金取り出だしたること①
占いをしてもらって1か月ほどたつと、例の占い師さんからメールが来ていました。
「占い師として一緒に働きましょう、お話がしたいから電話ください」みたいな内容だったと思います。

ちょうどアルバイト生活にも飽きてきて「親もうるさいし、そろそろ病院とかでちゃんと就職して働かないといけないな〜」と思っていた時期でした。
占い師か〜面白そうだから、お話だけでも聞いてみようかな?と思いました。
こんな感じで私の占い師生活が始まりました。

最初の1年はアルバイトがお休みの日だけ2時間くらい占い師をしていました。占い師さんが立ち上げたのは電話占いの会社だったので、比較的シフトが自由で助かりました。
その後、病院への就職が決まったので、一旦占い師業を離脱しました。

それから数年間、病院やクリニックでお仕事をしていたので、日々忙しくて占いのことはすっかり忘れていました。
でも、結婚をしてからはお惣菜屋さんでパートタイムの仕事をするようになりました。フルタイムよりも自由な時間が持てるようになりました。
午前中にパートタイムで働いて、自由な時間となった午後はネコを主人公にした漫画を描いていました。子供のころ漫画家になりたいと思っていたので、夢に挑戦していました。
4コマ漫画とストーリー漫画をそれぞれ投稿したのですが、結果はさんざんでした。
やはり才能がないのかな?と思っていた時、漫画雑誌の後ろのあたりにある星占いが目につきました。

そういえば、私占いの仕事していたことあったな~・・今度は占いに挑戦してみよう!と思い立ち、以前所属していた電話占いの会社に連絡をしてみました。

あの時の占い師さんは社長になっていましたが、運よく電話に出てくれたので事情を説明することができました。そして、もう一度一緒にお仕事をさせてほしいとお願いをしました。
電話占いの会社は当時よりも大きくなっていて、所属する占い師さんもたくさんいましたから、ダメもとで頼んでみました。

経験や実績がないから断られるかな?と思ったのですが

先方からは「いいですよ、何時からお仕事できますか?」と二つ返事でした。

 

 

占いして金取り出だしたること②
こんな感じで、占い師ライフ第2章が始まりました。
第2章では真面目に占いに取り組んでいて、駆け出しのころはとにかく経験を積むことに必死でした。


〇ちゃんねるとか、〇〇袋などで無料の占いを募集し、毎日2~3人とコメントでやり取りをしていました。
駆け出しのころは占いのお仕事はほとんどなく暇だったので、鑑定の練習として〇ちゃんねるとか、〇〇袋で毎日少しづつ占っていました。
振り返ると1年で総勢200~250人くらいコメントでやり取りをしていました。


占い会社にはベテランの占い師さんがたくさんいたので、無料鑑定をたくさんこなして経験を積んでも、成績はあまり変わりませんでした。

そんな時、占い会社で勉強会が開かれて、西洋占星術や手相を教えてもらう機会を得ました。命術(命占)・卜術(卜占)・相術(相占)という感じで占いのバリエーションも広がっていきました。


占いを再開して2年半くらい過ぎると、予約が急に増えだしました。
ちょうど一番人気の占い師さんが会社を辞めることも重なり、彼女のお客さんが流れてきたことも要因の一つでした。

3年目に入り気が付くと上位ランカーの常連になっていました。運よくトップになることもありました。
会社も平均鑑定時間やリピート率が上がると、お客さんを誘導してくるシステムでしたから、急に仕事が忙しくなっていきました。

 

 


トップの弊害~プレッシャーと嫉妬~
占い師ライフ第2章は運よくトップに立つことができたのです。しかし、そこでは弊害も顕著にみられました。
私はあまりビジネス戦略を持たない占いスタイルでした。
「お客さんが占いを楽しんで、HAPPYな毎日を送れるように!」と楽しい占いを目指していました。
社長からはもっと「心理戦を使えば鑑定時間が延びるし、リピートがとりやすくなる」みたいな話をされるのですが、占い依存させる方向に持ってくブラック心理学的な手法は興味がありませんでした。


お話をして、カードを引いて、お話をして、笑って~。”笑う門には福来る”みたいな感じ。それぞれ持ち前の長所や才能を伸ばして行く感じ、あくまでも可能性を広げる方向のお話をしていたつもりです。どちらかといえば楽観主義なので、現実離れしたところがあったと思います。厳しいことを言わないから、中には依存的になってしまうお客さんがいたりして困りました。自信をもって欲しかったし、自分の力で前に進んでもらいたいから、勇気づけていたのでが、私の力量不足のため逆効果になっていたのです。この辺りは加減が本当に難しかったです。


他にも、同業者からの圧力もありました。
某サイトに”占い師○○は揚げ鑑定で全く当たらない”といろいろなことを書かれていたり、
呪いをかけてくる占い師さんがいたり‥数年後に社長から教えてもらったのですが、両者とも同じ会社の同僚たちだったそうです。呪いとか本当にやる人いるんですね!!


会社とお客さんからの期待とプレッシャー、同業者からの嫉妬みたいなものはものすごく感じていました。気にしないように、無視しながら占いをしていました。


こういう状況が3〜4年続いたのです。年間3Kくらいの鑑定を受けていたのですが(リピーターや無料お試し含み)会社からはリピート率を上げてほしい。とか、平均鑑定数をもっと伸ばしてほしいとか、ブラックな心理学使え!とか、細かな注文も増えていきました。
クレームが出ないように気を付けながら、出来る限り均一な鑑定をしていましたが、何だか、自由がなくて窮屈な感じになっていきました。
まるで、会社にプログラムされたとおりに働く占いロボットみたいじゃない?と思うようになりました。

そんな時運よく?病気になりました。2回ほど手術を受けることになり、しばらく療養が必要になりました。
ワーカーホリック気味の私でしたが、病気になってやっと休むことができました。
この療養を機に「周囲に迎合したり、ランクを狙う商業的な占いスタイルはやめよう」と思いました。
ロボットからようやく”人間”になれたみたいです(#^.^#)


そんなわけで”占いして金取り出だしたること”は結構大変だなぁ。と勉強になりました。
こんな風に極端な経験は私だけかもしれませんが、ジェットコースターみたいで面白い。
占いやスピリチュアル産業は一兆円規模だというので、まぁいろいろありますよね~。