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高文脈文化と低文脈文化について~コロガリズム的お話会フィードバック②~

高文脈文化と低文脈文化について~コロガリズム的お話会フィードバック②~

先日参加させていただいたコロガリズム的お話会について、もう少し振り返ってみようと思います。

今回は高文脈文化と低文脈文化というテーマについて、フィードバックをしようと思います。
そもそも、高文脈と低文脈って何?と思うかもしれません。
私も何のことだかさっぱりわからなくて、アンデス山脈とかヒマラヤとか高山地帯で用いられる言語と、平面な土地で使われる言語の違いかな?と思っていました。

・・・言葉について何も知らないので、文字からそのまま意味を考えていました。

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高文脈文化と低文脈文化とは

高文脈文化 とは→
状況やことば以外のものが意味を伝達することを前提としていて、自分の意図を文脈で伝達できることを期待している文化を言います。
文化が共通で情報が国の隅々まで伝わりやすい日本は高コンテクスト文化に属しているので、言葉以外に状況や文脈も情報を伝達すす傾向があります。
また重要な情報でも言葉に表現されないことがあるので、あいまいなところが多いのですが、表現をする側も受け取る側もある程度の理解力が必要になる言語文化です。


低文脈文化とは→
伝達される情報がことばによるメッセージの中に与えられる。
状況や文脈は情報を伝えないと考えられている文化です。国土が広く多くの民族が共存するようなアメリカは低コンテクスト文化に属すると言われています。
要するに、「言わなきゃわからないでしょ」「すべて契約書に書いてある通りです」の文化。

wikiの解説の一部を抜粋しますが
”高文脈文化では、より抽象的な表現での会話が可能であるが受け手の誤解などによる情報伝達の齟齬も生じうる。一方、低文脈文化では具象的な表現を行い、会話の文中に全ての情報が入っているため、行間を読む必要もなく、受け手は理解できる。”

ja.wikipedia.org



こういう説明を踏まえて考えてみると、

高文脈文化 は一つの表現に対して多彩な印象を持っていて、理解や解釈に多面性がある、豊かな意味合いを保有する文化というイメージになります。

表象的な言語、象徴性を表して細かなことまで言及しないのが特徴的なのだと思います。

これは非物質的で、固形化していない知識というか、象徴的な言語みたいな感じで、表象と事象の間に様々なバリエーションがある感じに思います。
料理に例えると「具やダマのないスープ」っぽい感じで、固形感が少ないのが高文脈文化かな?


他方で低文脈文化は一つの表現に対して答えが一つ、みたいな感じで正確性がありわかりやすいのが特徴です。
でも、こればっかり多用すると表現としては乏しいというか、平面的であり物質的だな。という感じがします。
お料理に例えると「スープの具」惑星意識な感じですかね。


契約書とか取り決めに関しては低文脈文化の表現方法が誤解が少なくて良いのでしょうが、小説や物語が低文脈化するとかなり窮屈になると思います。

「何でもかんでも答えは一つ」「明文化されたルールや見えるものがすべて」という考え方は、3次元に閉じた思考回路というか表現方法の感じがします。
こういう言葉ばかり使って考えていると、惑星意識から抜け出せないんだろうな~。と自分を振り返ってみたり。

物事にはあらゆる可能性があって、断定的に表現することは難しいと思うのであいまいなところがあっても、日本語みたいな高文脈文化の言語のほうが印象の多彩性があって表現が彩り豊かだと思ってみたりします。
サビアンシンボルは高度に発展した高文脈言語なのかもしれません。

 

言葉以外のコミュニケーションスキルもあるのでは?

私は2年くらい前からネットで時々海外のホロスコープ動画とか、子供向けの算数や図形の動画を見ています。
英語がわかるわけではないので、ホロスコープで星の配置の画面を見たり、数字や図形を見ていると、なんとなく何を伝えようとしているのかわかる気がします。

細かな意味ではなく、画像や数字、形が持っている象徴性から意味が伝わってきます。
もう少しいうと、言葉の意味は分からなくても話している人の声のトーンやカウント、表情から

ここは重要なんだな!
これはエピソードとして話してくれているんだな!
このあたり疲れが出てきているな!

などなど、いろいろと伝わってきます。



音楽や芸術も言葉の一つだと思う今日この頃

同じように音楽を聴いたり、絵画を見たり、芸術的なものを見ているとき、触れているときもいろいろと印象が生まれることがあります。

絶対音楽とかは逆に普遍的なジャンルなので、そういうものがないのかもしれませんが、高いレベルでの意識に何か起きている気がします。

言葉以外にも表現やコミュニケーション方法はたくさんあると思うので、低文脈文化のように一つの意味合いや事物性にとらわれず、あいまいだったり表現できない世界を理解できるように感性を養っていかないといけないな~と思いました。

もちろん、感性を養うためには知識や教養が大切だと思うのですが、それだけでは左脳すぎるので、もっと右脳的な感性について意識を向けていきたいな。と思いました。