4人称の感覚・個人を超えた言語空間~コロガリズム的お話会フィードバック①~
先日コロガリズム的お話会に参加してきました。
小野 満麿さんが言葉についてお話をしてくださった後、みんなでワイワイと雑談をする会でした。
お話会の中で特に印象深かったのが「4人称」という言葉でした。
1人称や2人称、3人称までは学校の勉強などで習ったから、なんとな~く意味が分かるのですが。
「4人称」って何?ってなりました。
4人称の言語が作り出す空間はたぶん4次元的なものなのだと思います。
”4次元の意識を言葉にしていた人たちがいた”ということになります。
それは南米ハケ語族のアイマラ語だったり、日本のアイヌの人たちも使用していたそうです。
人称を空間に例えて考えてみる
1人称が私を主にした1次元の世界空間として考えると、2人称が相手を意識した2次元の世界空間、3人称は彼らとか、それらなど第三者の視点を入れた3次元的な空間として考えてみます。
では、4人称はどんな視点が入ってくるのでしょうか?
ウィキペディアで4人称を調べましたが、四人称 - Wikipedia
内容が複雑ですっきり腑に落ちません。
という部分はなんとなく理解できそうな気がします。
wikiが専門用語だらけでわかりにくい!ということは
逆に言うと「言葉で説明することが難しい内容」を示している。
または、内容がスピリチュアルすぎてwikiにそのまま表現できない(笑)
ということだと思うわけです。wiki乙。
私がイメージする4人称は
個人や対象物としての相手、第三者の視点を超えた、自然の視点や、大きな視点という4次元的な認識が加わってくるものだと思っています。
個人や地上の存在を超越した、人種とか国とかを超えてもっと広い視点に立って物事を見る意識。時間や空間を超越したもの、それが4人称なのだと思います。
私はクォンタム・ヒーリング・ヒプノシス・テクニックを勉強しているので、QHHT風に言うなら4人称の視座はサブコンシャスと共同してみる世界という感じかな?と思いました。
個人を超えた大きな意識と共に、4次元の空間を見つめる言葉、大きな意識を受け入れてそれを言語化する言葉。そんな感じかな?と思いました。
4人称言語については超言語空間「日本」(3)
~自己他者問題と4人称~photobooks
を参考してもらうとわかりやすいと思います。
言葉には大天使の意識が宿っている
小野さんのお話会に参加する前後でちょうど松村先生の動画
「下の無限をどこに設定するか2020 05 31 05 58 58」を見ていました。
この動画の前半でチベットのパンチェンラマや言語にについて語られています。
アイヌ語やアイマラ語もそうですが、現代の社会ではほとんど使われることがなくなって、言葉の存在自体もあまり認識されていません。
こういう高度な意識を持っている、ハイエネルギーな言語は社会を支配して治安や権力耐性を維持したい人たちにとって邪魔なのかもしれません。
それは言語だけでなく、民族の中心になる神に近い存在、パンチェンラマやそのほかの尊い人たちにも同じような抑圧や制約が課されているのだと思いました。
4次元空間を作り出す尊い言葉の抑圧だけではなく、人々のよりどころになるような4次元意識の象徴存在までも地上から消し去ろうとしている原動力はどこからきているのでしょう?
これは、私たち一人一人の意識の積み重ねが生み出してしまったものなのかもしれないし、歴史的に繰り返されてきたことなのかもしれません。
逆に言えば、私たち一人一人が4次元の視座を意識して3次元的な個人にとらわれないで全体を意識することができれば・・
サブコンシャスや神の意識を大切にしていけば・・
ちょっとずつ現実は変わってくるのではないかな?と思います。
これまで目に見えない力で、世界を支えてきた4次元の柱が失われるのを防ぐために、損とか得とか、メリットデメリットなど個人に閉じるのをそろそろやめたほうがいいのでしょうね。
一部ではライトランゲージなどを話す人たちも増えてきています。
なくなっていくものがあれば、新しく生まれてくるものもあるので、様々な物事にこころを開いて世界を見て感じていけてらいいかな?と思ってみたりしました。