CATNAP STATION🐾夢を使った次元旅行🐈

愛知県でQHHTというヒプノセラピーを行っています😺どうぞよろしくお願いいたします🐾

父のこと、家族のこと

父のこと

私の父は家が貧しかったのと、勉強が苦手だったこともあり中学の途中で自動車関連の子会社で働き始めました。
自動車整備や板金塗装について、下働きをしながら仕事を勉強したそうです。

もともと気難しい性格なのと、急に祖母が再婚をした時期なので、相当荒れていたようです。
10代のころは仕事が長く続かず、家では祖母や義祖父ともめていたそうです。
その後、家の近くのお寺の住職さんに諭されて、ようやく小さな町工場で仕事をつづけました。
でも、数年後に工場の大将と喧嘩をしてそこもやめることになりました。

20代になると、実家の敷地に作業場を作り父は板金塗装業を開業しました。
喧嘩したはずの大将が面倒を見てくれて、仕事を回してくれていました。
世の中はバブルで好景気だったので、父親の小さな作業場でもなんとか生活できるだけの収入があったようです。
その数年後、父は母と結婚し、私と妹が生まれています。

とはいえ、景気の良い時期はそう長くは続きません。1990年代にバブルが崩壊すると、父の仕事にも影響が出始めました。
工場をたたむ地事業主も増え、父の仕事も少なくなっていきました。
大手の自動車メーカーが車の板金塗装やメンテナンス業についてチェーン展開を始めたのも大きなダメージになりました。
仕事の業績が悪化の一途をたどり、父の不機嫌はさらに悪化していきました。

もともと小さなことを気にする神経質なところがある人でしたが、仕事が減ったことでストレスが溜まっていたのでしょう。
たばこやお酒の量が増え、夜遅くまでギャンブルなどで出歩いていました。

2000年くらいになると、ほとんど仕事がなくなり開店休業状態でした。
でも、プライドなのか?意地なのか?作業場を閉めることはしませんでした。
ほとんど収入がなかったのですが、うちの家計は母親が働いて何とかやりくりをしていました。
父は毎日いらいらしながらタバコを吸って、眉間に深いしわを寄せ気難しい顔をしていました。
そのころ私は病院で働いていました、父と顔を合わせることはあまりありませんでしたが、変なことを言って怒られるといやだったので、あまりかかわらないようにしていました。
その数年後大きな転換期がやってきました。

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父倒れる
当時の私は病院ではなく施設で働いていました。仕事が変則的なので、あまり家族とかかわることが少ない時期でした。
そんな時、さいきん父親の顔を見ないな~?と思っていたら、母から
「お父さん、最近”う~う~”唸ってて、あまりご飯食べないんだけど、ちょっと見てくれる?」
と、声をかけられました。

母に促され、父の部屋に入りました。確かに様子がおかしく、父はぼんやりした表情で明らかにろれつが回っていませんでした。
視線も合わないし、意識が混濁しているようでした。
寝たまま赤い顔をしていましたが、熱はなく血圧が高いのが気になりました。
なんとなく嫌な予感がしました。
何時から調子がおかしいのか?父に聞いても言葉が不明瞭なので、母親に確認すると
「1週間前からおかしかったかな?」とのことでした。


救急車を呼ぼうと思ったのですが、意識の混濁した父親が嫌がったので、母親と二人で父を抱えて車に乗せて救急外来のある病院へ連れていきました。
父の車を私が運転して家を出るとき、バックミラーに心配そうな顔つきでこちらを見つめている飼い犬の姿が映っていました。

病院についてすぐ、受付の人に状態を説明すると様子を見るために看護師さんがやってきました。
父は体が動かなくなっており、状態を見た看護師さんが応援を呼び、点滴などの処置が行われました。あれよあれよという間に緊急検査、緊急入院になりました。

どこが悪くて意識レベルが低下しているのかわからないので、頭から足の先まで全身を検査することになりました。

私と母は急な展開に待合室で待っていました。時間の感覚が全くなくて、どれくらい時間がたったのかさっぱりわからなくなっていました。
数時間経過した後、医師から検査の途中結果と治療について説明がありました。
医師によると、脳の中央部に動脈瘤のようなものがあり、脳脊髄液の循環が阻害され水頭症を引き起こしているそうでした。
脳の内圧が上がっているのでとても危ない状態にある。と説明されました。

とりあえず応急処置で、脳圧を下げる手術をすること、脳動脈瘤から出血している可能性が予想されるのでとても危険な処置になることの説明がありました。

この時、本当に父の命が風前の灯火であることを感じて、頭が真っ白になりました。
医師の顔や母の顔も全くわからないくらいショックを受けました。

暴力的で、怒りっぽくて、ひどいことばかり言う父でしたが
彼がこの世からいなくなることが想像できませんでした。

医師の説明を聞いていると空間がねじ曲がって、ぐにゃっとした真っ白で冷たい場所に落とされた感覚でした。
耳がキーンとなって、外界の音が消えていきます。
頭からサーッと血の気が引いて、自分がまっすぐ立っているのかわからないし、手や足が冷たくなって体の感覚も感じなくなったことを覚えています。

死の気配というか、圧倒的な絶望というか・・
仕事でかかわる最後の風景と、身内に起きる最後の風景は全く衝撃の度合いが違いました。

私は父と仲が悪く嫌いな存在でしたが、大きな病気によって命が危機的な状況に置かれているとなると嫌いとか怖いとか、苦手とかどうでもよくなっていました。
真っ白な空間で冷たくなる意識を感じながら
”奇跡が起きて父に助かってほしい”と願っていました。



父・悪運が強い

父の入院後はずっと集中治療室のような場所に入院していました。
脳にダメージがあるので、せん妄状態を起こし点滴などの医療器具を自分で外そうとして危険な行動がしばらく見られていました。

しかし、1週間くらい経過すると脳圧ドレナージによって水頭症の症状が改善されていくにつれ、だんだんいつもの父の意識レベルに戻っていきました。

さらに悪運が強いことに、最初の検査で脳動脈瘤を疑われていたのですが、精密検査をした結果「良性腫瘍」だったことが分かりました。
そのため、脳圧ドレナージが落ち着いたところで、脳内にシャントを入れる手術をうけ、順調に回復していきました。

1か月ほどの入院の後、父は普通に退院することができました。
脳のダメージや後遺症もなく、本当に運のよい人だな~と思いました。

体は順調に回復した父でしたが、心の中には大きな問題があったようです。


父・自殺未遂

父が家に戻ると、犬は嬉しそうに尻尾を振って父に駆け寄っていました。
この犬は父の入院中、心配でご飯が喉を通らず食が細くなっていました。散歩に連れて行っても、全く元気なくしょんぼりしていました。
でも、父が歩いて家に戻っていく姿を見て安心したようです。
動物は本当に心が温かく、優しいと思います。

これほど犬に心配をかけた末、幸運にも九死に一生を得た父でしたが、心はすっかり折れていたようです。

しばらくは自宅療養なので、やせ細った両腕や両足をさすりながら、家の自室でぼんやりと過ごしていました。
そのうち、夜眠れなくなり睡眠薬を処方してもらうようになりました。

退院して1か月ほどたった時、再び母親が慌てて話しかけてきました。
「いくら呼んでも、お父さんが起きてこない・・・」
再び不穏な空気を感じて、父の部屋へ入りました。するとサイドテーブルの上に薬の殻が並べてありました。
(過剰摂取か、わかりやすい・・)と思いながら、念のためごみ箱も確認して、薬の殻を回収しました。
どうやら病院で処方された睡眠薬を一気に服用して自殺を図ったようでした。
薬の種類や量から致死量ではないようでしたし、父親も呼吸がしっかりしており命に別状はない様子でした。

薬の殻が分かりやすいところに置いてあるのを見て

(本気で死のうと思ったわけではないな)と内心思いました。それでも、薬の過剰摂取は身体への負担が大きいのでとりあえず救急車を呼んで、経過を手短に説明しました。
病院で処置をしてもらい、障害や後遺症などはなく正常に意識が戻りました。

この時期の父はこれまで体験したことのない大きな病気を経験したことで、生きることに対してすっかり自信がなくなってしまったようです。
仕事に対する自信、健康に対する自信、将来に対する自信、様々なものをなくしてしまったのでしょう。
退院後も自室にこもっていたのは、鬱の傾向によるものだったようです。

担当してくれた医師の勧めもあり父は精神科を受診したのち、しばらくの間療養のため入院することになりました。

 



退院後の父、キノコの栽培を始めて元気になる

精神科で3か月ほど入院して父は退院を許可されました。
父の入院中は犬がご飯を食べず、散歩も元気がなく大変な3か月でした。
でも、父が家に戻ると犬はすっかり大はしゃぎで尻尾を振って出迎えていました。

父が長く家を空けていたので、近所の人や父の友人がお見舞いに来てくれて父を元気づけてくれました。
その中の一人の人が、父に農業を勧めてくれました。これが大きな変化につながりました。
父の友人は屋内でキノコの栽培をしていました、そこで「一緒にキノコ栽培をやらないか?」と仲間に誘ってくれたのです。
父は全くの初心者でしたが、仲間と一緒に勉強会に参加したり、研修旅行へ出かけたりして、だんだん元気を取り戻していきました。

父は几帳面な性格なので、物を育てたり管理することに向いていました。
毎日早起きしてキノコのお世話をして、お昼寝をして、夕方にまたキノコのお世話をして、とても健康的な生活になっていきました。

キノコを作るようになって新しい仲間が増え、父の世界は大きく変わっていきました。
数年後には小さな畑を借りて野菜を作るようにもなりました。
自分で作った野菜を産直市場に持って行って、少しお小遣いをもらえるようになっていました。

かつては神経質でイライラしていた父でしたが、別人みたいな好々爺に変貌していくのを目の当たりにして、「人は変われば変わるものだな~」と思いました。

父は板金塗装業に対して誇りやプライドを持っていて、とても執着していました。でも、時代の変化に対応できず取り残されていました。
そんな時に、大きな病気をしたので、ここでやっと仕事への執着を手放すことになりました。
しかし、仕事がなくなった父は拠り所がなく空っぽになってしまい、自殺未遂を起こします。
これは私の父に起きたことですが、ほかの人にも同じことは起こる可能性があるのでは?と思います。

仕事を生きがいや、やりがいにしていると、それが時代に淘汰されたり、仕事を失ったときに自分の中心がなくなります。
生きるための支えというか、拠り所がなくなりとても危ない状態になるのだと思います。
それを防ぐために、仕事以外にも楽しみとか、自分のやりがいを見つけておくのが大切でしょうね。と思っていたりします。

生き方を変えるのは難しいです、でも、時代の流れ、環境の変化によって私たちは生き方や考え方、価値観を柔軟に変化させていくことが必要になるときが来ます。
ほんとうの自分の生き方を模索するように求められる時期があるのだと思います。

自分の固定観念に執着して流れに抵抗すると、父のように体を壊したり精神的に参ってしまうのではないかな?と思います。
とりあえず身近なところにとても良い教材人物がいることはとてもありがたいことです。