愛について考えてみる
今回も2日にわたり、夢をテーマにショートストーリーを描いてみました。
今回のテーマは「愛」でした。
でも、一言に「愛」といっても、いろいろな形があります。
親子の愛、家族の愛、友人や知人への愛、地球や宇宙への愛・・・本当に様々です。
そんな中でも、やはり身近な人へ向けられる愛、身近な人に求める愛はとても深いものがあります。
愛はうまく機能すると、生きる希望や喜びとなり素晴らしいものです。
でも、ひとたびバランスが崩れてしまうと、執着や縛り、憎しみなどを生んでしまいます。
愛はあらゆるものを癒す最良の薬にもなるし、行き過ぎるとお互いをスポイルするほどの毒にもなってしまうので、愛情の扱いは本当に難しいと思います。
若い女性に恋をした仙人の話
愛のことを考えるとき”久米仙人”の逸話を思い出します。
”久米仙人”について、少しWIKIから引用します。久米仙人 - Wikipedia
久米仙人は、欽明天皇(在位:539? - 571?)の時代、葛城の里(現・御所市から北葛城郡新庄町・當麻町にかけて)に生まれたとされます。
竜門岳(宇陀市と吉野郡吉野町の境界)で修行し、神通飛行術を取得。竜門岳から葛城山に飛行するのを常としていました。
天平年間(729 - 749)に龍門寺(奈良県吉野郡吉野町)の堀に住まって、いつものように飛行していたが、あるとき久米川(現・曽我川。大和川の支流)の辺で洗濯する若い女性の白いふくらはぎ(ふとももとする文献あり)に萌えて神通力を失い、墜落する。その女性を妻として普通の人間として暮らした。
久米仙人は仙人として修行に励み身体オクターブ、感情オクターブ、思考オクターブをH12まで高めたのだと思います。
でも、若い女性のしろいふくらはぎに魅了されてしまい、転落してしまいます。
立派な仙人でも、女性の白い足を見て恋をしてしまったのでしょうね。
”性センターにエネルギーを持っていかれちゃった”っていうやつですかね。
女性に恋をして神通力を失ってしまった久米仙人でしたが、聖武天皇(在位:724 - 749)の命により東大寺に大仏殿を建立(竣工:758)する際、久米仙人は俗人として夫役につき、材木の運搬に従事していたそうです。
担当の役人は、(どこまで本気か不明であるが)「仙人ならば神通力で材木を運べないか」と持ち掛けたそうです。
仙人は七日七夜の修行ののち、ついに神通力を回復します。
彼は8日目の朝、吉野山から切り出した材木を空中に浮揚させて運搬、建設予定地に着地させたそうです。
その後百数十年、仙人とその妻は久米寺に住んだと言われます。
『和州久米寺流記』は、久米仙人と妻はどこかへ飛び去ったという後日談を記してあるのだとか。
久米仙人の説話から見えるもの
久米仙人の説話では、優れた仙人が女性の魅力によって道を踏み外してしまうところから始まります。
でも、誰かを好きになることは命あるもの誰もが持っている本能なのだと思うので、「修行・修行」と言って感情を抑圧するより、自分の気持ちに素直になったほうが良いのだと思います。
もちろん、一方的な愛情はよろしくないと思いますが💦
愛情を経験して、俗世間に身を置いてみると、そこでしか見えないものや、そこでしか経験できないものがあるのだと思います。
エメラルド・タブレット的にいうと
下層を理解できないうちは上層のこともわからんよね。ってことでしょうね。
墜落してからが本当の修行、仙人としての目覚めなのでしょう。
そして、久米仙人は愛のために俗世間へ身を落としたことで”忘れていた大切な何か”を思い出したのだと思います。
誰かを好きになると、自分を見つめなおす良い機会になると思います。
自分の中にある様々な感情の蛇たちに気が付くことでしょう。
私なんかは雑念や邪心まみれなので、蛇が多いこと多いこと(失笑)
久米仙人も若い女性に恋をしたことで、それまで経験することがなかった生々しい感情や、体験を学んだのかもしれません。
愛情のバランスは難しいと思います、だから模索しながら、久米仙人のように俗世間の中で修行を重ね愛情を扱えるようになれるといいな~と思います。
愛は時には人を傷つけ、苦しめ堕としてしまうこともあるけれど、素晴らしい喜びをもたらして魂の成長を促し、高みへ進めてくれるものではないかな?と思います。
愛のコントロールもやはり「自我」が大事で、アストラル体の感情のうねりに流されないように自分の中心にいなくては~( ̄▽ ̄;)