自我をはぐくむ数字と図形
数と形を探求することで自我を育てていく~数字と図形、自我の関係とは?~
ルドルフシュタイナーによると、私たち第五文化期を生きる人間のテーマとして
「自我をもってアストラル体をコントロールする」というテーマを上げています。
そもそも、自我とは何なのか?
といいますと
これは、紀元前700年から600年くらいから始まった第四文化期の「自我の育成」というテーマに関係しています。
この時代はちょうどピタゴラスやプラトンなどが生まれ、活躍した時代でした。
ピタゴラスは数字は「ロゴスである」といい、プラトンは幾何図形を「イデア」と呼びました。プラトンは図形を一つの理想の形だと考えていました
自我の形成に関して、数字や幾何図形は密接な関係があります。
自我は記憶の連続性であるということは、こういう数字、図形ということと深く関連しています。
このあたりについて小野満麿さんの動画がとても分かりやすいので、シェアをさせていただきます。
ピタゴラス・プラトン・アルキメデスは現代の数字や図形の原理を発見しました。
彼らが残してくれた数字や図形の原理は、現代を生きる私たちが
「自我を使ってアストラル体をコントロールする」テーマを達成するために必要な知識であり心構えだと思います。
シュタイナー7つの分化期とそれぞれのテーマについて
ルドルフシュタイナーは人類の歴史を7つの分化期に分けて考えていました。
彼の定義では一つの文化期が2200年のサイクルになっていました。
人間の発達の順番として1番目の時代に肉体の育成、2番目の時代にエーテル体の育成、3番目の時代にアストラル体の育成、4番目の時代では自我の育成がテーマとなっていました。
5番目の時代は自我がアストラル体をコントロールすること、6番目は自我がエーテル体をコントロールすることがテーマになります。
最終的に7番目は自我が肉体をコントロールする。という7つの段階を経ていくのだそうです。
シュタイナーの言う「自我」というのは記憶の連続性とか 自分という意識の連続性に関係しています。
もし、この自我の部分がしっかりしていないと、記憶の連続性が保てないので、途切れ途切れの状態で生きているような状態になります。
自我に変わってアストラル体がアストラル体をコントロールするので、感情でしか行動できない一貫性の乏しい状態に陥るのでしょう。
箱の中で生きている私たち
私たちは3次元の世界で生活をしています。
でも、私たちの視覚は3次元で物をとらえることができません、そのためランクダウンした2次元的な平面視野で物事をとらえてきます。
この時、目でとらえた情報を脳がある程度補正をかけていくこともあります。
そういった視覚と脳のかんけいを考えると、
「目に見えていると思うものは本当に正しいのかな?」と疑問を感じることが多々あります。
プラトン立体の五つのうちのですね、正6面体っていうものがありますよね。
正6面体は立方体のことですが、面は6つ点は8つあります。
8つの点のうちどれか一箇所の点を正面に図形を見てみると、3つの面が見えます。
同時に、見えない裏側の三つの面があるっていう形になります。
立方体を資格で認識するとき私たちはその目ではですねその最大3面しか見ることができません。
角度を変えて確認するしかないのですが、そうすると別の面が四角になってしまいます。
3次元の世界の中で、2次元的な視野しか持たない視覚を頼り「目に見えるものがすべて」だと思って生活することは、世界の全体を見ずに、自分が信じたいことだけを選び取って認識しているだけなのでは?と思えてしまいます。
そして見えない部分に押し込んだ、死角の闇におびえているのかもしれません。
死角を作らないためには、見えない部分に光を当てる作業が必要になります。
第四文化期を生きたピタゴラス・プラトン・アルキメデスが残してくれた数字と図形の原理をもとにワークしたり、形を作ったり、パスワークをしてみるのが有効なのだと思います。
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